院長エッセイ集 気ままに、あるがままに 本文へジャンプ


母の米寿祝い

 

 昨年の暮れ、母の米寿祝いを行った。かねてより「そんな年寄りじみたお祝いは(満八十七歳といえば十分にお年寄りなのだが)、遠慮させていただきたい。」と言っていた母であったが、周囲から、そう言わずにお祝いさせてくれとの言葉をいくつかかけられると、少し色気が出てきたようで、わたしたち家族も、ひとつのけじめ・人生の節目としてはやはり重要ではなかろうかと思い至り、開催に踏み切ったのである。母は五十年近い教員生活と、退職後の教育委員、退職女性校長会などの活動で県下に広く知己がおり、招待状の発送だけでも大仕事であった。母も招待客をなかなか絞り込めず、それぞれの筋の代表者に参加希望者をまとめていただき、それを基に招待状を発送する段取りとなった。その案内文と招待状の文面を一部抜粋する。

(案内文)母のまわりの親しい人たちの間から、母の米寿の祝いを行いたいとの、有り難い申し出をいくつも頂戴しました。肝心の母は、「八十八歳は、旅の途中。私のランディングする滑走路はまだまだ先。掉尾を飾るにはまだ尚早。」とうそぶいている始末ではありますが、知らず識らず重ねた齢、有情無情に流れゆく光陰への感慨と、まだまだ若い者には負けられないという気概との乖離に戸惑いながらの正直な心境であると思います。
しかし私ども家族は、時として見え隠れする老いの翳りを、老いの実りとして表出できる今こそ、御恩ある皆様方と記念の席を設け、語らい懐かしみ慈しみあうことが、皆様への恩返しとなるのではないかと考えました。

 (招待状)たくさんの方々の参加の申し出を受けて、母が喜ぶ様は八十八歳とは思えないほど無邪気なもので、楽しく有意義な集いになる予感は、確信に変わりました。当日、皆様にお会いできることを母共々、心待ちにしております。

 母の自尊心を保ちながらも、暮れの多忙の折、厚かましくも個人的な宴を催す次第を斟酌させるに十分な名文であると自画自賛する私であるが、そのおかげもあって(もちろん母の人望が第一であるが)三百人を超える参加をいただき、母の米寿を我が事のように喜んでくれる教え子や同輩・後輩の方々の暖かい気持ちに満ちた祝いの会となった。その会で上映した「思い出のアルバム」は女学校時代の写真から現在に至るまでの母の人生を綴るスライドショーで、二晩突貫で完成させたのだが、編集作業中、懐かしい写真や初めて見る写真の中に、現在の自分より若い母を見るのは何とも不思議な体験であった。この「思い出のアルバム」は予想通り大好評で、そのエンディングに、私はホイットマンの言葉を引用した。
 「若い女性は美しい。しかし年を重ねた女性はもっと美しい。」
会場内は中年以降の女性が多数を占めているので、リップサービスとまでは言わないまでも、少しおもねる気分で挿入したのだが、今となっては真理の一面をつく良い言葉だと思うようになっている。このスライドショーは母にとっても人生を振り返るよい機会にもなったようで、とても喜んでいた。たくさんの方々の賛辞よりも、息子としてはそのことが嬉しかった。
 母の「思い出のアルバム」作りは私の半生を振り返ることでもあり、年の瀬にふさわしい仕事であった。そして新年を迎えて、思いを新たに残りの人生の一歩を力強く踏み出そう。「若き日々は美しい。しかし年を重ねてからの一日一日は、もっと美しく輝いているべきである。」と自らを鼓舞しながら・・。



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